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2019年2月17日
今週の暗唱聖句と解説
神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。 詩篇51:17
いけにえという言葉はちょっと衝撃的です。旧約聖書では、罪を犯した人間がその罪を許してもらうために、牛や羊を携えてきて、それを全焼のいけにえとして神様の怒りを静め、なだめる・・・そんな儀式がありました。
マンガ日本昔話でも、神様のまえに生贄をささげる。若い娘をささげる・・・そんな話がありました。
いけにえとは神様の前に供物として生きた動物をささげるという事。神様が喜ばれるもの・・・という事です。
その最も崇高ないけにえは、立派な牛や羊。たくさんの金銀・・・豪華な食事。それではありません。
自分の罪を認め、自分に絶望し・・・神様の前に、全く大きな顔をして出れないものが。自分のプライドも砕かれ、罪を乞い、心から赦しをねがう・・・その人の魂であります。
人が自分の罪を認め、心から悔い・・・どうしようもない自分を思いながらも、なお神様の前に、その憐れみを乞い、恵みを信じて、神の前にひれ伏す心。それこそが尊い、いけにえだという事です。
罪を犯した人間がすることで、私は日本的な感情とキリスト教的な感情で大きく違うと思う事があります。日本では罪を犯した時、死んでお詫びをする・・・という事が一番尊いような考えがあります。私もそう思って生きてきました。
ところが聖書の中では、罪を犯した者は、その罪を認め、心から悔い、心砕かれて神の前に出る。それがまずなすべきこと。神へのいけにえとして砕かれた魂を差し出すことだと教えられます。タイガー・ウッズやクリントン大統領の不倫事件は大きな罪であり、許されるべきことではありません。でもその中で彼らは砕かれた魂として神と人の前に悔い改めました。日本では罪を認めないか・・・死を選ぶか・・・そんな事ではないかと思うとき。聖書には違う選択があるのです。
もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。 第一ヨハネ1章9節
これは今週の暗唱聖句につながることであります。神様からの失敗したものへの再スタートへの励ましと恵みの言葉であります。
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最終更新日
2019年2月17日
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